1、最近のお墓事情
公開日:2020-07-28 19:44
目次
お墓といえば、以前は「○○家の墓」と彫刻された、縦長の和型墓石が一般的でした。それが、2000年代になりますと、「やすらぎ」、「ありがとう」、「愛」など、好きな言葉を彫刻する、横長の洋型墓石が主流へと変わって行きました。。
最近のお墓はといいますと、社会問題にもなっている少子高齢化を背景に、室内墓や永代供養墓、樹林葬、散骨などが登場し、お墓そのものの形が変わってきております。しかし、お墓の種類が多くなりすぎているため、自分たち家族にとって、どのお墓が一番合っているのか分からず、迷っている方が多いようです。
また、近年「墓じまい」という言葉が生まれたように、様々な理由でお墓を維持していくことが難しく、今のお墓を取り壊し、ご遺骨を他のお墓に移す方も増えております。
お墓をこれから定める方も、すでにお持ちの方も、お墓の悩みは尽きないものです。ご家族の皆様が、いつまでも安心してお参りができるよう、ご家族でじっくりと話し合ってからお墓を決めることをお勧めします。
2、お墓を選ぶ前に知っておきたいこと
《今に伝わるお墓の歴史》
・お墓の始まりは縄文時代
今なお全国各地で古来のお墓が発見されていることからもわかるように、日本では、縄文時代から死者を埋葬する習慣があったようです。なかでも、青森県の「三内丸山遺跡」は有名で、大規模な大人の墓地や、子供のお墓が見つかっています。
続く弥生時代には、甕棺(かめかん)や石棺、木棺で埋葬されていることが主流になっていきました。それとともに、墳墓といわれる、お墓の周りに方形や円形の溝をめぐらしたものも出てくるようになります。お墓の規模は次第に大きくなっていったのです。
その後、古墳時代に入ると、その名のとおり、権力者たちはこぞって巨大なお墓を造るようになりました。代表的なものは、大阪府の「大仙陵古墳(仁徳天皇陵)」で、その大きさは世界でも最大級です。中国の始皇帝陵、エジプトのグフ王のピラミッドと共に、世界三大陵墓の一つと言われています。
ところが、こうした大規模なお墓は、大化の改新により姿をひそめるようになってしまいます。「薄葬令」と呼ばれる法律では、身分ごとに葬儀やお墓について細かく定められていたからです。
・お墓と仏教の関係
では、お墓と仏教のつながりは、いつからどのように始まったのでしょうか?一説によれば、鎌倉時代から室町時代にかけて、武士が台頭するようになってからだといわれてます。奈良時代や平安時代には、寺院が貴族の手厚い庇護を受けていましたが、貴族の没落に伴い、武士を中心に仏教が庶民へ布教され始めたことが関係しているようです。また、同じころに位牌と戒名が中国から伝わったこともあり、位牌型の板碑や今日の墓石に近い角柱型のものも作られるようになっていきました。
とはいえ、お墓そのものが庶民と深く関わるようになったのは、江戸時代に入ってからのことです。この時代には「寺請制度」によって、それぞれの家庭がいずれかの寺院の檀家になる必要がありました。その影響もあり、お墓はもちろん、祖先に対する供養や葬儀、仏事に関するあらゆる事柄が生活の中に定着したといえます。
・現代のお墓になるまで
個人墓が主流だった江戸時代から、いわるゆ家のお墓が一般化したのは明治時代のことでした。明治7年、当時の東京府の公営墓地として、青山に公園型の墓地が設けられたのを皮切りに、次々と公園型の墓地が造られるようになりました。戦後には、昭和23年に「墓地埋葬に関する法律(墓埋法)」が施行され、4年後の昭和27年には民間が運営する霊園もできました。
現在では、お墓の形一つをとっても、その家ごとに異なります。時代と共にお墓の形態は変化していきますが、お墓参りに行くことで故人を偲び先祖に感謝をする気持ちは、いつまでも変わらずに持ち続けていきたいものです。